【夏目漱石】夏目漱石 100の言葉 矢島 裕紀彦 (監修) 森田くんは100年たっても夏目先生に怒られている
みなさん、連休はいかがでしたか?わたしは夏目漱石三昧でした!
ついつい手に取った「夏目漱石 100の言葉」からどっぷりはまってしまいました。「夏目漱石 100の言葉」を読みながら、オリジナルを探していました。ほとんど連休は夏目漱石全集を読んでいました。かなり面白いです!
明治・大正時代に活躍し今も愛される文豪・夏目漱石の珠玉の名言が、「100の言葉」シリーズに登場。
監修は『心を癒す 漱石の手紙』(小学館文庫)などの著書や月刊『サライ』(小学館)公式サイト「サライ.jp」で毎日更新の「日めくり漱石」の連載で知られる矢島裕紀彦氏。
時代と格闘しながら漱石が考え抜いた問題の多くは、没後100年を経た現代の私たちが日々感じていることととても似ています。
会社や学校、家庭での人間関係など日々の生活に疲れたとき、漱石の言葉は、心の重荷をふわっと軽くしてくれる名言に溢れています。
本書では小説やエッセイといった作品だけでなく、漱石が友人や弟子、家族に宛てた手紙からも多数、言葉を採録。
親しい人間たちに送った励ましや愚痴、決意の言葉など、漱石自身の人となりもわかる名言集です。
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内容はその名の通り漱石の言葉を100個の言葉を引用しておりますが、意外とマイナーなところからの出典が多いです。ぱっと見で「野分」からの引用が多いですね。「吾輩は猫である」「虞美人草」からの引用も多いです。「こころ」が少ないです。たぶん「彼岸過迄」は引用がなかったと思います。
そして一番の引用元は「書簡集」からです。作品に負けず劣らず夏目漱石の人柄が書簡集にはよく表れていると思います。とくに森田草平に対する書簡の引用が多くて笑ってしまいます。
森田は夏目漱石の門下なんですが、まあとにかく漱石門下ではできの悪い子です。平塚らいてうと塩原で心中未遂事件を起こします。これが世間に広く知られてしまいます。夏目漱石は事件後、森田を2週間ほど自宅にかくまっていました。
森田は四高で女性と同棲しているのがばれて退学、東京に出て一高から東大を卒業します。郷里の女性との間に子供もいますし、下宿先の踊りの師匠とも関係がありました。漱石の世話で中学の英語教師になりますが、半年で首になります。そして今回の心中未遂事件です。新聞各紙にも取り上げられてワイドショーのトップみたいな感じだったようです。
夏目漱石の言葉032
君が生涯はこれからである。功業は百年の後に価値が定まる。
心中未遂事件の後も、いろいろと漱石から森田あてに書簡が送られるわけです。できの悪い子ほどかわいいってやつでしょうか。そんな文章がいっぱいピックアップされています。
漱石が死去したのが1916年ですから、2016年で没後100年です。森田くん、100年たってもまだ書簡の中で漱石先生に怒られているよ。
芥川龍之介あての書簡も載っています。
夏目漱石の言葉045
敬服しました。ああいうものをこれから二三十並べて御覧なさい。 文壇で類のない作家になれます。
東大の無名の青年に夏目漱石はこのような書簡を送ります。ここから芥川龍之介の活躍が始まるわけです。
夏目漱石の言葉035
どうぞ偉くなって下さい。しかしむやみにあせってはいけません。ただ牛のように図々(ずうずう)しく進んで行くのが大事です。
すみませんが「ただ牛のように〜」の文は管理人が付け加えました。夏目漱石が亡くなる4ヶ月前に芥川龍之介と久米正雄に送った手紙です。わたしは初めて読んだ時に、自殺する芥川に対してなんて暗示的な手紙なのだろう、と思いました。
きっと漱石には芥川のことが危なく見えていたに違いありません。切れ味するどい芥川に対して、愚鈍でゆっくり進む牛のようになれ、そうでないとあせりが自分をほろぼすよ、と言いたかったのでしょう。だから漱石が芥川に向かって、牛のようにずうずうしく進め、っていうのはとっても大事な言葉だとおもうのです。
「夏目漱石 100の言葉」は短い文ばかりですからかなり読みやすいと思います。わたしもすぐに読めました。でも奥が深いです。全集や漱石研究年表をいっしょによむと、とんでもなくはまってしまいます。「二百十日・野分」が岩波文庫に入ったことですし、アプローチしやすくなりましたよね。
夏目漱石が好きな人にはお勧めしたい一冊でした。