■架神 恭介『仁義なきキリスト教史』 売り切れ続出!広島弁やくざイエスが絶叫!!「おやっさん、おやっさん、なんでワシを見捨てたんじゃ!」
(2018.06.24更新)
「おやっさん……おやっさん……なんでワシを見捨てたんじゃあ!」
Amazonも一時在庫なくなっていました。いまはどうやらありそう。
新約聖書 新共同訳 マタイ伝27章46節
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
がオリジナル。こんな画期的な本、ないです。
前半部分のあらすじを管理人が勝手にまとめてみました。
ヤハウェ大親分が残した「ユダヤ組」が大きく幅を利かせていた時代に、新興勢力、というより半端者の集まりがあった。ユダヤ地方ガリラヤでゴロツキが集まったグレン隊、「キリスト組」(ナザレ組)が発足した。初代組長「イエス兄貴」はその侠気でぐんぐん勢力を拡大するが、敵地エルサレムでユダヤ組系の謀略にはまって殺される。
「イエス兄貴」の死後も、キリスト組は「イエス兄貴」は死んでないとか、生き返ったとか変なことを言っている割に勢力を拡大する。2代目組長ペトロは、勢力拡大だけでなく、「キリスト組」内部の抗争にも追われる。
「キリスト組」を狙っていたユダヤ組系のヒットマンのパウロは、急な病で目が見えなくなる。そして病気で会ったこともない「イエス兄貴」に会った幻覚を見る、「イエス兄貴」に心酔したパウロは、ユダヤ組の盃を水にして一転して「キリスト組」の盃をかわす。パウロは自分の見た幻覚「イエス兄貴」の話をして勢力を拡大するが、ほかのキリスト組やくざからは頭のおかしいやつとして、そのやり方にトラブルが頻発する。広域暴力団「キリスト組」の拡大の根本はシノギ。金の集め方を巡って舎弟たちが血で血を洗う大抗争が勃発した。
この幻覚をみた頭のおかしいパウロがキリスト教を確立させた、まさにキリスト教の開祖であると佐藤優氏(文集新書『新約聖書』)は指摘しています(同II P.11-12)。
わたし個人はキリスト教とは全く関係がありません。なので、ようやく新約聖書だけは読みきっていますが、正直よくわかっていません。現時点で、興味はあるのですがキリスト教はちんぷんかんぷんです。
本作品は大変笑わせてもらいました。こんなにわかりやすくて、かたよった聖書関係の本はありません。そしてなるほど、と思うところがいっぱいありました。
お互いに共通点があると言われたら、キリスト教もやくざも、
1) 目的は勢力(信者、組員)を広げること
2) 利権の拡大がおおっぴらに言えないが、大きな目的である
3) 組織の信条に、人間の本質が含まれている
4) 個人が組織の意向に反すると破門される
5) 組織拡大とともに分家、分派に分かれて活動する
6) 利権や権力において国家権力と様々な形で協力あるいは敵対する
などではないでしょうか。人は何かを信じなくては生きていけませんし、人の奥底には暴力的な部分が眠っているはずです。
宗教もやくざもそのような人の根本的な性質をベースにしてできている組織で、そしてさらに金銭の利権が絡んできます。でも、おおっぴらに利潤を求めるのは会社ですが、やくざと宗教はおおっぴらに利潤を求めてはいけません(最近は違うかもしれませんが)。
宗教をやくざに変換してみると、その利権や暴力の原因、各組織の勢力などが全く違った視点で見ることができます。
「なるほどなー」とおもったことも、数多くありました。なかなかお目にかかれない種類の本ですが、聖書に興味があって、かつ、エンタメだと割り切って読める方に、強く強くお勧めします。
注意:kindle版は単行本をベースにしているので、いまのところ値段は文庫本より高いです!
<参考文献> 特に1巻の巻末の「非キリス教徒にとっての聖書」は読み応えがありました。
『旧約続編つき』まではいらないかもしれませんが、たまに目にする続編が気になる人は買っておいたほうがいいかも。
ご参考になりましたら幸いです。